2019年4月13日(土) 石川充先生 保護者対応記録
2019年4月18日
思いを伝えられない、段取りを上手く取れないなどの傾向があり、本来持っている能力を発揮しきれていないように感じます。こうした場合、どのようなアプローチが適切でしょうか?
「10」ある力のうち「8」しか発揮できない場合、残りの「2」は上手くいかないことになってしまいます。心理検査の結果を見ると、できない理由は知的な低さではなく、言葉が入ってこないだけなのだと思われます。通常の能力は十分備えながらも力を出し切れないため、今のままでは損をしてしまうことが増えてくるでしょう。 通常は親も教師も、能力を発揮できない「残り2」の差を埋めるため「何回言ったら分かるの!」という指導になりがちです。こうした子は、言葉で言うから学習効果が出ないんです。特に、子どもにとって分かりにくい抽象的な言葉を並べて、くどくど言い続けるのは最もダメなパターンです。 こうした場合は、やるべきことを明確にして、諦めさせないような工夫をしてください。分かるように教えれば、学習効果は必ず出ます。例えば、「はい、注目!」と言ってまずは意識をこちらに向けさせます。そして「次は〇〇をやろうね」の声掛けと共に、イメージがわくものをビジュアル化して見せると良いでしょう。次第に、単語のイメージが言葉としてつながっていくようになります。特に小さいうちは語彙が少なく、言葉が追い付いてこないので「子どもにとっての分かりやすさ」「イメージのしやすさ」が指示を通す際のカギとなります。
これまでは保育園で個別に配慮していただいていましたが、小学校では加配の先生を付けていただくことも難しく、言葉での一斉指導がほとんどのため少し心配しています。
合理的配慮がなく、適切な指導がなされない一斉指導の場合はどうしても置いてきぼりの子を生む可能性があります。このお子さんはどちらかというと感覚的に動くタイプのようですので、社会一般の常識とかけ離れた行動をとってしまうことが出てくるでしょう。自分でダメと分かっていながらも、目に入ってしまうとそっちへ行ってしまう特性があるようです。 これもよくやってしまいがちなんですが、やめさせたい行為に対して「そんなことしていいのかな?」「こういうときどうしたらいいのかな?」といった疑問を投げかけるだけにしてしまうと、言葉のニュアンスが分かりにくい子は困惑してしまうだけです。かといって真っ向から「ダメ!ダメ!」と強い口調で注意してしまうと、「ダメ!」という否定語だけがこの子の頭の中に残るんです。こうした場合は「今は〇〇をやめて△△をしましょう」という指導の仕方が最も分かりやすいんです。家庭でも学校でもこうした配慮ができれば、このお子さんはもっともっと伸びていきます。
「能力があるのに力を発揮できない」というのは、障がいなのでしょうか?
キャラクターです。病気ではなくて性格です。ひとつの「特性」といいますかね。障がいや病気としてみてしまうと、やれることが限られてしまうんですよ。「病気だから薬」という安易な考えにもつながってしまいます。あまりに多動だったりイライラが強い子には薬を用いる場合もありますが、基本的には行動療法が主となります。私は「指導すること」よりも「褒めること」が大事だと考えています。もちろん指導も重要ですが、指導だけになると子どもって辛いですよ。大人でも、頑張って残業したとき「仕事遅いくせに残業手当ばかり稼いで」と言われるよりは「いつも遅くまでありがとさまです」と言われた方が、また頑張ろうという力が湧いてきますよね。褒めてばかりいると図に乗ってやらなくなるんじゃないかと考える人もいると思うんですが、褒めすぎてやらなくなった子を私はこれまで見たことがありません。やらなくなるきっかけって、褒め方が足りなかったり、褒めるのを忘れたときです。できるのが当たり前になると、みなさん褒めなくなってしまうんです。 何度言っても分からないことは「障がい」ではありません。そんな人、世の中にたくさんいるじゃないですか。許容範囲内であれば、大きな問題ではないんです。例えば「あの人、何回言っても分かってくれないんだけど、現場に行って図面見たらチャチャっと直してくれる」みたいな大工さんとかいるじゃないですか。逆に、理論武装する弁護士さんタイプは手先が不器用だったりもします。 このお子さんにとっての「できないこと」は、知的な遅れから来るものではありません。能力はあるのに、言葉が上手く入ってこないだけなんです。ですから、言葉のニュアンスをとらえられず場の空気が読めないからといって、言葉でガンガン指導してしまうと余計に空気を読めない子になってしまいます。 自閉症スペクトラムの「スペクトラム」とは、グラデーションという意味です。「どこから障がいなのか」という線引きは非常に難しく、今は「発達障がい」ではなく「神経発達症」という名称で「症(グループ)」としてくくることが一般的になっています。 これから先、自分が持つ特性の中で上手く生きていくためには、苦手なところを否定するのではなく、少しでも得意なところを引き上げて伸ばしてあげることが大切です。
落ち着きがないのは今の時期(小学1年)だけなのか、これから特性としてずっと持ち合わせるものなのか、どちらなのでしょうか?
自閉症スペクトラムのおよそ6~7割の人がADHD、要するに多動の要素を持っているといわれています。ですから、一見普通に見えて会話も成立するので問題なさそうに見える子でも、よく見たら落ち着きがない“ちょろすけ”だねっていう子は多いんですよ。なぜ多動になるかというと、そこにじっとしていられない理由があるからなんです。多動の子たちに話を聞くと、みんな「やることがいっぱいあって忙しい」って言うんです。外で遊んでいても刺激がいっぱいあって、かけっこもしたいし、自転車にも乗りたいし、ボール遊びもしたいし、というように見た瞬間にいろんなものに興味が湧きすぎて反応してしまうんです。それを「落ち着きがない」とマイナスにとらえるか「色んなことに興味がある」とプラスにとらえるかで見方は変わります。キャラクターなので、ぜひ良いふうにとらえてあげてください。 ADHDタイプのお子さんは、友達が遊んでいるところにワーっと突っ込んでいってぶち壊してしまうことがあります。一方、自閉性が強いタイプのお子さんは、友達が遊んでいるところに行くんですがコミュニケーションが上手く取れないので、一緒に何かするわけでもなく、また別の集団のところへスッと移ってという行動傾向があります。この場合、見た目は多動なんですが、関係を上手く築けないというところでその場を去らなければと感じています。同じ「多動」といってもどちらかだったり、その両方が混ざったりというように、特性はそれぞれ異なります。
物事に対して好き嫌いがはっきりしています。ウチの子はADHDと自閉の両方が混ざったタイプの「多動」なのでしょうか?
興味のある分野にはとことんハマるけど、そうでなければ全く興味を示さないという子は、いわゆる「博士タイプ」といえます。ハマった分野では誰より知識が豊富なので、そのグループ内ではトップを取れるんですが、それ以外のことになるとサッと引いてしまうので他の子からダメ出しをくらってしまうわけです。ダメ出しされても、当人はなぜそんなことを言われるのかさっぱり意味が分からず、いじめられたという気持ちだけが残ってしまいます。そのときの気持ちを上手く汲み取れればいいんですが、言葉で表現するのはどうしても苦手なので、表情の変化を注意深く見てあげることが大事ですね。 言葉で「今日どうだった?」と聞いても、何についてどうだったのかを聞いているのかさっぱり分からないはずです。大人だって、久しぶりに会った人に「最近どう?」って聞かれてもどう答えたらいいか分からないときがありますよね。ですから、具体的に「今日、学校でけんかしたの?」とか「〇〇ちゃんから叩かれちゃったか。それは大変だったね」みたいな声掛けが、言葉を引き出すためには有効です。 嫌な思いをしたときに、頭の中の引き出しに「うざい」「死ね」「バカヤロー」という言葉しか入っていない子はトラブルになりやすいんです。人が騒がしくしているときに「うるさい!」って言うのではなく「静かにしてくれる?」って言えるようにスキルを上げることがこれから大事になってきます。周囲の大人も「やめなさい!」ではなく「これ先にやってくれる?」と子どもにお願いすると、指示が通りやすくなります。「ダメ!」と否定するのではなく肯定的な言葉に変換して「走るな」ではなく「歩いてください」、「叩くな」ではなく「お話しで決めましょうね」みたいに1つ1つ丁寧に教えてあげると「こういうときは、こう行動すればいいんだ」と理解でき、ソーシャルスキルが高まります。 こちらが指示したことに取り組んだら、すかさず褒めることも重要です。褒めれば、いい意味で図に乗ってどんどんやってくれるようになります。すると、また褒める機会が増えるという良い連鎖が生まれます。
親や友達との関係性が上手く取れず、遊びの際の関りも本人からの一方通行になってしまいます。
親であれば我慢できることでも、友達との関わりの中だと受け入れてもらえないことがたくさん出てくるはずです。そういうときに、自分の思いを言葉で表現することが必要となってきます。「自分の主張は一方的にぶつけてくるんだけど、人の話を上手く聞けない」という特性は、何も聞く意識がなかったり、意地悪して聞かないわけではなく、ニュアンスが分からないので聞くことが苦手なだけなんです。これから先、こうしたお子さんへ辛い思いをさせないために、言葉のスキルを上げるトレーニングだったり、特性を理解してもらった上で周囲へ配慮を求めることも考えていった方が良いでしょうね。 メグシィのような施設には、色んな特性を持った子がいます。そうした子たちが集まる集団の中で、遊びを通して学べることはたくさんあります。家でもできると思われがちですが、私は家でやるのは難しいと考えています。なぜかというと(指導するのが)親だからです。関係が近すぎると甘えが出たり、怒りが込み上げてくるので、全てを家庭で抱え込まず、学校、行政、そしてメグシィのような施設を上手く利用すると、親御さんの負担も随分和らぐと思いますよ。
現在、本人が何か特定のことに困っているということはないのですが、やはり療育は必要でしょうか?
知的に遅れがあるわけではないようですので、自分ではあまり困り感があるタイプではないと思います。ただし、学年が進むと様々な引っ掛かりが出てくるはずです。こうしたお子さまに一番大事なのは「自分の身の丈を知る」ことなんです。「自分はどこまでできて、どこが苦手なのか」を自分自身で理解していることがとても大事になってきます。この年齢(小学1年)ではまだまだ無理なんです。でもこれを放っておくと、思春期のあたりで必ず自分で気付くときが来るんです。そこで気付くと自己肯定感が落ちて、取り返しがつかなくなってしまうんです。「俺ってこういうの苦手だよな」という思いが「なんでできないんだ」というコンプレックスを生んでしまいます。ですから、小さい頃からいろんな経験を通して「俺ってこんなタイプだから、こういうときにはこんなふうに言った方がいいんだよな」と理解できるように、見通しをもたせる訓練をしておくことが大事です。
極度の負けず嫌いなので、親子でゲームなどをする際にわざと親が負けて子どもに勝たせるように手を抜いています。遊びの中でそうした行為は、良いことなのでしょうか?
それは悪いことではないと思いますよ。子どもがわざと負けるような状況を一度作っておいて、パニックを起こさない程度に親が上手くコントロールしながら、盛 り返して勝たせるみたいなパターンを作れたら、なお良いでしょう。そして「こっから逆転して勝つなんてすごいなー! 次は負けないからな!」とか「負けそうになったけど、歯食いしばって頑張ってすごいな!」といった声掛けもしてあげてください。 こうした日常生活の遊びを注意深く観察していると、苦手な部分って必ず見えてくるんですよね。そこを否定するのではなく、肯定的に変換した言葉で指導してほしいんですよね。ただ「それを家で親が全部やれ」と言われると、やっぱり限界があるんですよ。そのあたりを外部の力を借りながら、上手に育んでいってほしいなと思います。
先日メグシィさんから「抜毛行為があった」と連絡をいただきました。家庭内でそうした行為はないのですが、やはりストレスから来るものなのでしょうか?
新年度に入り、学校ではクラス替えや担任の先生が代わったり、メグシィだと新しい利用者も来たりして環境が変わってしまったことが原因ではないかと思われます。抜毛する子もいますし、チックが強くなる子もいます。ストレスを言葉で表現できない子は、自分の不安定さをそうした行為で紛らわしているのです。 「ダメ!」という否定語でやめさせてしまうと、かえってストレスが増幅してしまいますので、何か代替行為を提示しましょう。例えば、荷物を梱包するときに使うプチプチなどを与えると効果的です。最近は、永久的にあの感触を味わえるキーホルダーなどもあるようですので、一度試してみてはいかがでしょうか。
先日、家族で「発達障がい」をテーマにしたテレビ番組を見ていました。ふいに子どもから「発達障がいって何?」と聞かれて戸惑ってしまったんですが、こういうときにはどう答えたら良いのでしょうか?
女の子は特に難しいですよね。私が告知する際は、障がいであるとか直接的な診断名ではなく「こういうキャラクターなんだよ」と伝えるようにしています。「発達障がい」ではなく「神経発達症」としているのも、ある程度の年齢になると子どもは「障がい」という言葉に敏感になるからです。 変に難しく言わない方がいいんです。お子さんが完全に理解できないことは言わない方がいいでしょう。小学校低学年のうちは「こういうとこ得意だけど、こういうとこちょっと苦手だよね」みたいに説明してあげるといいと思います。気の短い人と長い人、道案内してすぐに分かる人と分からない人がいるように、「神経発達症」も性格の一つなんです。 自分のキャラクター、いわゆる「身の丈」を知った子は強いんです。いつまでも親がごまかしたままではいられないので、やっぱりどこかのタイミングできっちり話してあげないといけないんですが、あまりストレートに言い過ぎても良くないんですね。やはり、キャラクターが分かるような伝え方が一番いいんだと思います。 メグシィの職員もそのキャラクターを十分理解した上で、その子の良いところが表に出るように一生懸命指導してくれますから。
偏食の傾向があり、そんなに量も食べられないのですが、給食を完食するまで残されてとっても嫌な思いをしたそうです。発狂しながらやっと食べたら、今度は周りの子に笑われて「もう学校に行きなくない」と言うようにもなりました。
私に言わせたら最低ですね、そんなの。給食のそういう食べさせ方なんて、今どきナンセンスですよね。食べ物なんて嫌いなものがあって当たり前だし、人それぞれ食べられる量だって違うわけですから。「全部食べないと立派な大人になれない」なんて言うのなら、世の中ダメな人間ばかりになってしまいますよ。今「給食で無理強いするのはいけない」と文部科学省から通達が出ているんです。「残すといけない」という理論は「作った人に気の毒だから」というところから来ているのだとおもうのですが、食べられない人にとってはもっと気の毒です。
集中できる時間が他の子より短いので宿題の量を調整ほしいのですが、学校に受け入れてもらえません。
量の多いもの、分からないものを目の前にドンと持ってこられて「さあ、やりなさい」となるから途方に暮れるわけです。プリント1枚をいきなりバッと見せられると情報量がとても多く感じてしまいますので、全体を4~5分割くらいに分けて、解く問題以外は隠してあげて1問ずつ取り組ませると学習しやすくなるでしょう。1問、2問、3問と進んで、集中が切れたらそこで終わりにしてもいいと思います。分からない問題を出されて「じゃあ、これ親が教えなければならないの?」という話ですよね。親は先生じゃないので、やっぱりそこまで「座りなさい!」「やりなさい!」と求め続けるのは酷な話です。ですから特性に合わせた配慮が必要なんです。 かといって「全くやらなくていい」というわけではありません。担任の先生と相談しながら、まずは基礎的なものから始めて、少しずつランクアップさせていき、出来た分、頑張った分だけ褒めてあげれば意欲は高まります。「5問中、なんで4問しかできないの!」ではなく「昨日は3問しかできなかったけど、今日は4問までできたね!すごいね」と評価してあげてください。
どうしても我慢できなかったり、約束を守れなかったりということがあるのですが、自分で決めたことをやれなかった場合は親としてどこまで頑張らせれば良いのでしょう?
検査結果を見た限りだと、おそらく「自分で決めようね」と目標設定させると、少し多めに設定するんですよ。こうしたタイプのお子さんは。一般的には「自分で決めたんだからちゃんとやりなさい」と注意したくなるところですが、この子の場合は8割到達すればOKくらいに考えてもいいと思いますね。できなかった部分ではなく、8割までやれたことを評価してください。 多めに目標を設定してしまうのは、何かできるような気になってしまうからだと思うんですよね。衝動性のある子というのは、身の丈に合わない変な自信やこだわりを持っていて、自分ができる数値の先まで行ってしまう傾向があるんです。出来ないとパニックを起こしてしまうこともあるので「(8割くらいのところで)ここまでできたら合格だからね。その手前のここまででも十分だよ」と促してあげることも時には必要かもしれません。 本当は「あなたの身の丈はここまでなんだよ」と教えてあげることが必要なんですが、身の丈を教えるということは「ここまでしか自分はできないんだ」と自己否定されたような気持ちになってしまう恐れがあります。そこが難しいところなんです。 やはり一番適切な言い方は「ここまででも十分。これより行けたら凄すぎるでしょ!」と常々唱え続けてください。そうすると、できなかったときに「お母さんはいつも『ここまでできればいい』と言ってくれていたな」と思えることは、この子にとって絶対的な強みになります。 そうした積み重ねをもとに、時間をかけてゆっくりと「自分はどこまでできるのか」という身の丈を覚えてもらうことが必要になってきますね。そのときは「できないこと」を連想させてはいけません。「目標設定はもっと下でもいいよ」と促し、そこまで到達できたり、その上をいったときには「ほんとに凄い!」と褒めながらの指導が適切でしょう。
自分がやりたいことを優先してしまう子で「やりたいこと」をやってからでないと「やるべきこと」に取り組むことができません。
これはなかなか直すのが難しいんですよね。家に帰ってからすぐ宿題すればいいものの、まず遊んでから、ゲームしてからみたいな感じですよね。やりたいことをひと通り終えると、疲れてしまうし、集中も切れてしまいますからね。 本来、そこの順番は逆にした方が絶対にいいんですけど、本人が納得してくれるかどうかですよね。こだわりがルーチン化してしまって変えるのが難しい場合は、制限をかける必要があります。「やってもいいけど、ここまでね」と。「本当はこういう風に順番を変えてほしいんだけど、宿題ができなくなるんであればゲームの時間も少なくなります」とペナルティ方式で進めていくしかないですね。 でも、急にゼロにはしないでください。まずは、時間を短くというところから始めてください。それでもダメなら「ゲームは捨てます」くらい言ってもいいでしょう。捨てるのは極端ですが、スマホのゲームであればWi-Fiを切るとか、任天堂スイッチだったらタイマーをかけるとか。この場合は泣き叫んでもいいんです。「約束だからね」と毅然とした対応を取ってください。今の時期にこの習慣を改善できなければ、中学・高校と進むにつれどんどん依存度が高まります。 ゲームを取り上げられて泣いてるときは「いつまで泣いてるの!」とは注意しないでください。ただ黙って放っておいていいです。そして、一瞬泣き止んだときを見逃さず「我慢できてえらいね」と褒めてください。泣いているときに泣き止ませるのではなく、泣き止んだときに褒めるというのがポイントです。 親と子の約束ごとは必要ですが、初期の段階の約束をあまりタイトにしてしまうと難しくなるので、許容できる範囲で幅を持たせて設定してください。
極端に我が強いのは発達障がいの特性的なものなのか、ただのわがままなのか、どうとらえたら良いのでしょうか? 本人のペースに合わせすぎると、時々「甘やかしすぎなのでは」と不安になるときもあります。
私は「わがまま」と「発達障がい」は区別しなくていい、という話をよくしています。わがままはわがままなので、それはしょうがない。発達障がいだとしても、それはそれでキャラクターなんだからしょうがない。そこで何が大事になるかというと「約束をきちんと決める」ということなんです。「わがままは許さない」といっても、子どもがわがままになるのは当たり前のことなので、それを前提に約束ごとを決めればいいんです。 「ウチの子は発達障がいだから、ある程度わがままを許してもいい」という意見もありますが、私はそれには反対なんです。発達障がいの有無関係なく「ダメなものはダメ」という境界線は絶対にあるので、決まりごとは必要です。 ただ家庭によって、それから夫婦によっても価値観の差があるので、決めごとのとらえ方も変わってきます。例えば、毎日3時間以上もゲームをする親だったら「子どもが1時間くらいする分にはいいじゃないか」と考える一方で、全くゲームをしない親であれば「1時間もするのか」と感じてしまいますよね。だから夫婦で価値観が異なる場合は、どこかで折り合いをつけるということが必要となります。子どもにも親が持っている価値観の線引きを教えてあげなければいけません。これは、発達障がいがあるとかないとか全く関係ないです。 「発達障がい」という名称は今あまり使わなくなってきているんですが、発達障がいということでこの先この子が損をしてしまうことがあるのであれば、それこそがまさに「害」なんです。他人に害を及ぼすとか迷惑をかけるという意味の「害」ではないんです。そこを勘違いしている人はまだまだ多いですし、正しく意味を理解していない人たちに「障がい」という言葉を安易に使って欲しくはないですね。「障がい」ではなくキャラクターとしてあらわれる「症状」なので、その症状で損をしてしまうことがあるとすれば、損をしないように配慮してあげるのは当然のことといえます。
大きいものと小さいものの区別をさせたくて、家で車のおもちゃなどを使って教えてはいるんですが上手く認識してくれません。
「大きい」「小さい」と単調に言葉で伝えるだけでなく、例えば極端に大小が違う箱などを用意して、言葉掛けの際も「(口を大きく開け)おっ~きい!」「(口を小さくして)ちいさ~い」と抑揚をつけてみてはいかがでしょうか。視覚的な大きい小さいではなくて、体感的な大きい小さいでとらえさせると「2つのものの大きさが違うんだ」と認識できるようになるはずです。 日頃から「おっ~きい!」「たっか~い!」などまるで女子高生が大げさに表現するかのように、形容詞に感情を乗せてあげると伝わりやすくなります。地道な継続が必要となる作業ですが、どうか続けてあげてください。